孟子曰く「人の患(うれ)いは、好んで人の師と為るに在り」・・・と
子供への説教もなにやら同罪のように思えてくる
川柳に「先生と云われるほどの馬鹿でなし」とあるように、「先生!」とか「社長!」との呼びかけには
あまり良い意味はないが、先生を演じるのは心地よいものなのだろう
ホームページを全面改定するにあたり、なにやらコラムのようなものを設けようとするのは、まさに
その「人の患い・・・・」にあたるのかもしれない。
孟子の次の世代の儒家に荀子がいる。後に「性善説」「性悪説」と云われた内の後者を唱えた人物
である。荀子も同様の言葉を残している。
小人の学は耳より入りて口より出ず。口耳の間は四寸のみ。
なんぞ以って七尺の躯(からだ)を美(かざ)るに足らんや。(勧学)
俗人はいま聞いたことを知ったかぶりしてすぐしゃべる。口と耳の間はたった4寸しかないから、とても体全体にはいきわたらないし、残らない!・・・・と嘆いたのである。
小欄の名前はそこから掠めた。
「人の性(さが)は悪なり。その善なるものは偽なり」
と、なにやら琴線に触れる彼の毒説(舌)を、テロやら万引やら、大小諸悪を聞くに付け、見るに付け、思い起こさずにはいられない。
「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人(悪事)の種は尽きまじ」
てことでしょうか。