口耳四寸の巻頭

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所長の戯言・寝言です。 前の頁へ
平成 18 3 23   次の頁へ
No. 2 聖徳太子17条憲法 目次へ


孟子の性善説と荀子の性悪説。時代にこそズレはあるが一騎打ちである。
どちらも社会に良かれと説いたものだ。表面上は常に前者が優勢のようだが、「刑法」なんて有る事自体、 後者が実相のようでもある。
二千数百年後の冷戦時代、米ソ両国の国民に対する認識も性善説と性悪説 の差であったのかもしれない。
が、こちらは僅か百年ほどで決着がついている。 いずれにせよ、その国の憲法や法律は、どちらかの視点で人を見るかでかなり違ったものとなってこよう。 では、日本はどうであったろうか?

二曰、篤敬三宝。々々者佛法僧也。則四生之終帰、万国之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤悪 能教従之。其不帰三宝、何以直枉。(日本書紀推古12年4月の項・・岩波文庫より)

聖徳太子は17条憲法で人鮮尤悪(悪い人は少ない)と云った。しかし、
一曰、・・人皆有党(人は皆、党をなす)、亦少達者・・。
七曰、人各有任(人はそれぞれ良いところがある)、掌宜不濫・・・。
十曰、・・・人皆有心(人はそれぞれ考えがある)、々各有執・・・。とも述べている。

孟子や荀子がまず「人の性」を判断して、その伸張や抑制を施策の柱とするのに対して、 太子はあるがままの倭人に、より相応しい施策を考えたに相違ない。[人の性]の良し悪しを測ること それ自体が「人皆有党」になり「人皆有心」を否定することになるからであろう。

20才で摂政に就かれ、それから10年ほど後、太子は憲法に夢を託された。
三人称の倭人や倭人国から一人称としての日本人や日本国に変えたのが太子である。その基とも 云うべき憲法は太子が創ったというよりも、太子が倭人の中に見出した理想日本人像の姿なのだ。

では晩年(?)太子が残した「世間虚仮、唯仏是真」(天寿国繍帳)とは何故か。
求道者の言か? 専制の大臣馬子に対する諦めか?  それとも秀吉の辞世「露と落ち、露と消へにし・・」なのか?それとも・・・・

風まじり雨降る夜の雨まじり雪降る夜は・中略・かくばかり術無きものか世間の道」・・山上憶良

理想を高く掲げ示した太子。
「争わず話せばわかる。己を空しゆうしても人に譲る・・」そんな天寿国が幻しと解したとき、「かくばかり術無き世」を悟ったときのつぶやきだったのではないだろうか。
太子の見立てが甘かったのか。否、悪は予想以上に手強かったのである。

「人の心は金で買える・・」破廉恥ですね。一昔前だったら口が裂けても云えなかった題名の本が出ている。 太子が線引きした日本人から外れているし、倭人からも外れているに相違ない。

「世間虚仮」と云いたくなるほど「術無き」今日この頃である。

世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば・・上記長歌の反歌・・山上憶良



No.3に続く