口耳四寸の巻頭

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平成 23 8 10   次の頁へ
No. 5 六本指文明 目次へ

「優勢遺伝」と言えば六本指が優勢遺伝だと昔、読んだ記憶がある。学問的には「多指症」と呼ぶそうだが、それが「病」なのか否かわからないから、「症」でないほうがいいと思う。

天下人の秀吉は指が6本あったそうだ。

信長が付けた字(あざな)や前田利家の記録で確実だという。
更にこれも昔聞いた話だが、アフリカのどこやらでは、部族の大半の人が6本指だったという。

「六本指」が「優勢遺伝」なら当然そのようなことも考えられる。

「多勢」を頼むのは人の性だから、、少数派の6本指人は無理やり一本を切り取られたり(手術されたり)、部族なら弾圧されて浄化されたのかもしれない。
だいたい、指が五本と六本では実用上どちらが有利かといえば6本に相違ない。 楽器などはどうみても6本の方が有利だろう。ピアノ弾きだって、ギターだってそうだ。

数学上でも、5と6を比較すると、あきらかに6の方が有利だ。

倍の10と12で比較すれば10では公約数は2と5に二つだけだが、12では2・3・4・6と急に四つとなる。 公約数が多いのは生活上ずいぶんと便利なはずだ。なのに何故か、人は10進の数を使う。

そう、それは「標準的な人」の指が片側5本だからだろう。

子供は確かに指を折って数を数える。 「指」はだから最も原始的な計算道具といえよう。 片手の指なら5進数、両手を使えば10進数、手足の全部を使えば20進数の登場となる。 ギリシャ数字では「V」と「X」が5と・10をあらわすし、フランス語やスペイン語などのラテン系言語の 「数」の呼び方は20進的だったり、15進的だったりしている。
中国でも桁上げは10進だ。

しかし、ゲルマン系の数値の呼び方はあきらかに異なる。

英語でもドイツ語でも1~12まで固有数詞が付けられているのだ。
「ワン」「ツー」「スリー」・・・「テン」「イレブン」「ツエルブ」そして、その後始めて「サーティーン」=3+10、「フォーティーン」4+10となっている。 11を「ワンティーン」とか「ワンテン」とは言わないし、12を「ツーティーン」とは呼ばない。 サッカーの仲間は「イレブン」だ。決して「ワンティーン」ではないのだ!

仮に、指が六本の人たちが文明を築いていたら、

「数」の呼び方もゲルマン風に11迄、固有数詞があると考えられる。
更に、度量衡の中で最も視覚的・初歩的である、長さと角度(方位)の古典的な単位は、やたらと、12進や6進が多い。それも洋の東西を問わない。12インチが1フィートだし3フィートが1ヤードだ。 6尺が1間だし、60間が1町、36町が1里なのだ。角度は一周で360°、一日は12時間x2、 1時間は60分、1分は60秒。12個で1ダース。さらに古典的通貨にもかなり12進があるようだ。 なのに今は10進数を用いている(コンピュータの世界は別だが)。

公約数の多い12進のメリットを放棄させたのはやはり「指の数」の便利さなのだろう。

 だとすれば、古典的な「数」に12進的な要素が多いということは「指の数」と整合していたから ではないのだろうか。 実在が証明されてはいないが、超古代の伝説的文明たる、「アトランティス」や「ムー」はひょっとして、 6本指人間の文明だった可能性がある。
彼らの「12進」的文化がその頃、辺境の未開「5本指部族」であった我等の祖先に伝承して、今も僅かに名残があるとしたらどうだろう。
そして、6本指の人たちが築いた「6本指文明」は何らかの事情で滅んだのだ。

何時の日か、太平洋か地中海の海底から、あるいは中央アジアの砂漠のなかからか超古代の英雄の石造が姿をあらわす。 見上げる像のさらにその頭上の猛々しい「剣」。それを掲げる太い腕。

柄を握るその手の指の数が「6本」なのである。

No.6に続く