口耳四寸の巻頭

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平成 23 9 9   次の頁へ
No. 9 十干と長寿天皇(その1) 目次へ

辞書で「えと」と引くと「干支;かんし」と書かれている。PCの変換でも「干支」になる。
文字だけ見れば「干支」を「えと」と読ませるのには無理がある。

「干支」の「干」は「十干:じゅっかん」で:甲・乙・丙・・で戦前の通信簿で利用したそうだし、今でも契約書で活躍中だ。
「干支」の「支」はおなじみの「十二支」で:子・丑・寅・・で今で「えと」と云えばこれだ。

「十干」は10種あるから「十干」で、「十二支」は12あるから「十二支」なのだが、
この二つを組み合わせたものが、本来の「干支」である。

「年」を例にとれば、一年後は「干」も「支」も前年より次の順の「干」「支」に代わる。
 例えば、「甲子」の次は「乙丑」となる。10と12の循環だから、常に”奇数番目”どうしか ”偶数番目”どうしの組み合わせとなる。だから「甲丑」は存在しない。
よく知られているものでは「甲子園球場」「戊辰戦争」「庚申塚」「壬申の乱」「辛亥革命」・・

日本書紀では日付の記述にもこの「干支」を利用している。

10と12の最小公倍数は60だから、60の組み合わせが過ぎて、初めて元(1番目)の「甲子」に 戻る。「還暦」の語源だ。
「十干」は中国の五行説からきた。それに「陰陽」がついて2倍の10種にと・・どの本にも書いてある。「五行」とは「木」「火」「土」「金」「水」でそれぞれに陰陽を加味した。陰陽は本来「女」「男」だ。しかし、中国では「甲」「乙」「丙」・・とそれぞれに一字を当てたから陰陽の影が薄くなっている。「木」偏に「男」とか「火」偏に女みたいな文字を創作すれば、分かり易かったかもしれない。
我が「倭国」に「十干」が伝わったとき、その「甲」「乙」「丙」・・をどう読んだのであろうか?

「干支」をして「えと」と読む。 その「えと」とは「倭語(やまと言葉)」で「え」が「兄」で「と」が「弟」の意味で合わせて「兄弟」なのだ。

「え」と「と」を「五行」本来の「木」「火」「土」・・・に付けて読むと:

「甲」を「木の兄」”きのえ”と読み
「乙」を「木の弟」”きのと”と読んだ。
「丙」は「火の兄」で”ひのえ”になり、
「丁」は「火の弟」で”ひのと”とした。
「戊」は「土の兄」で”つちのえ”
「己」は「土の弟」で”つちのと”←「つちのこ」じゃあない!!(巳と己は似ているが)

陰陽を「男女」ではなく「兄弟」として読んでいる。 更に「えと」自体が「十干・十二支」全体をも示す存在になっていることも興味深い。
「年」を示すにあたって「兄・弟」の分類感があたのではないかと想像してしまう。

古代を想像するに・・・倭国は「春秋二倍暦」・・十干と長寿天皇(その2)へ続く・

参考  十干:甲乙丙丁戊己庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)

No.10に続く